新書

 文庫の始まりが断定しにくいのに対し、新書の場合ははっきりしている。1938年創刊の岩波新書がその始まりである。
 当時の文庫はまだ判型が定まらず、小型の叢書という程度の意味であり、現在の新書に近い判型のものも含んでいた。そんな中、すでに岩波文庫を発行していた岩波書店が、判型・内容ともに岩波文庫とは違うものとして創刊したのが岩波新書である。古典を収録する岩波文庫に対し、岩波新書は書下ろしを中心として、「現代人の現代的教養を目的」(巻末「岩波新書を刊行するに際して」岩波茂雄)とした。
 ただし、あえて厳密に言えば、岩波新書の創刊をもって新書というジャンルの誕生としていいかどうかはわからない。当時の文庫の概念からいえば、岩波書店から、二つ目の文庫が出たという見方もできるからである。
 新書というジャンルは、
  岩波新書創刊
  用紙規制で文庫がA6判になる
  飛鳥新書など他社からも新書が発行される
という三段階を経て、成立したといえる。
 岩波新書創刊にあたって参考にされたのは、前年の1937年にイギリスで創刊されていたペリカン・ブックスであり、当時の判型は174×108mmである。これに対し岩波新書は172×112mmであった。
 1929年に決定された日本標準規格に基づく用紙規格規則が1940年11月7日に告示され、翌1941年1月1日付で施行されている。これにより、書籍の判型は、A4、A5、A6、B5、B6に限られたため、文庫の判型は翌年にかけてA6判に切り替わってゆく。この時、新書判に近い三六判の世界文庫もA6判になっている。
 手元にある岩波新書『アラビアのロレンス』(奥付の発行日は昭和十五年九月五日)には、「巳資紙規第九六號東京府規格外許可 昭和十六年四月十五日發行」のスタンプが押してある。「文庫の奥付が語る終戦前後」(田村道美 『絶版文庫三重奏』)によれば、地方長官の許可を受ければ、従来どおりの判型で出版できたということである。



『探書代行 十方土』(リンク切れ)の「それでも、やっぱり岩波新書」によれば、その後、1942年発行の『支那・支那人』では、判型が176×105mmになっているということである。

 新書の判型は、B40判と説明されることが多い。B判40取りということで、B6判が一枚の紙を4×8の32枚に裁断するのに対し、4×10の40枚に裁断するということである。だから縦の長さはB6判と同じであり、182×103mmとなる(ただし、JISの仕上げ寸法にはない判型なので、正式にサイズが決まっているのかはわからない)。しかし、岩波新書などの標準的な新書の判型は173×105mmであり、若干の違いがある。
 岩波新書の新刊発行点数は、1938年が23点。翌年から順に、31点、24点、6点、11点、1点、2点となり、終戦の1945年には1点も発行されていない。翌1946年には3点が発行されるが、1947・1948年には発行がなく、1949年に青版として再出発することになる。『岩波新書の50年』によれば、「判型も赤版時代の改正規格B40どりをそのまま継承した」となっているが、判型が、現在の173×105mmに変更されたのは、この頃ではないかと思われる。ちなみに、戦後に発行された最後の赤版三冊は、なぜかB6判で発行されている。デザインは、それまでのものを横に引き伸ばした形である。
 岩波文庫の場合と違い、1938年の岩波新書創刊によって、他社も巻き込む形での新書ブームが起きた気配はない。青版創刊の頃もブームは起きなかったようだ。戦後初期創刊の新書としては次のようなものがある。
  1946年  飛鳥新書  角川書店
  1948年  河出新書  河出書房
  1949年  岩波新書 青版  岩波書店
  1950年  角川新書  角川書店
  1950年  アメージング・ストーリーズ  誠文堂新光社
  1951年  文庫クセジュ  白水社
  1951年  四季新書  四季社
  1951年  東大新書  東京大学出版会
  1952年  アサヒ相談室  朝日新聞社
  1953年  朝日文化手帖  朝日新聞社
  1953年  三笠新書  三笠書房
  1953年  ハヤカワ・ミステリ  早川書房
 1954年から翌1955年にかけて多くの新書が出版され、第一次新書ブームが訪れた。きっかけは、1954年2月に発行された新書判の単行本、伊藤整『女性に関する十二章』(中央公論社)である。当時チャタレイ裁判の被告として時の人であった著者のこの本は、ベストセラーとなった。他社からも新書判の単行本が各種出され、新書レーベル創刊の前に、新書判という判型がブームとなっている。
 10月に光文社から創刊されたカッパブックスをはじめとして、翌年にかけて多くの新書が創刊された。『岩波新書の50年』によれば、「当時、軽装判・新書判のシリーズは、九三種類あるといわれた」とある。『出版年鑑』1956年版には、新書名93種があげてある。この中には、B6小判など、新書判以外のものも含まれているが、新書判の文庫は別にあげてあるので、新書の範囲を広くとれば、百種以上があったことになる。

更新:2012年10月27日

Hachiとか8270とか名乗っています。

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